love of apron
絶体絶命、とう言葉の意味をハンナは今日始めて知った気がした。 というのも、今まさにハンナは絶体絶命の状況に置かれているからだ。 例え場所が戦場や密林なんかの冒険的な場所ではなくエリントン家のキッチンであっても。 そして目の前にいるのが敵でなくて恋人のジャックであっても。 「ハンナ」 「だ、だ、だめよ!」 ちょっとどもってしまったが、ハンナは頑張って首を振った。 途端に、じっと注がれる視線にハンナは怯む。 「そんな目で見たって、だめ。」 「そんな目・・・・どんな目だ?」 「そんな・・・・不満たっぷりの子どもみたいな目よ。」 「ふむ」 不思議そうな表情でジャックが頷いたので、ハンナははっとした。 (これはもしかしてチャンス?) なんでも興味があることにはすぐ惹かれるジャックは、次の興味があることを見つけると前に拘っていたことを結構あっさり忘れる傾向にある。 「そんな顔してるジャック、珍しいわ。鏡で見てみたら?」 どういう提案だ、と突っ込まないでやってほしい。 この時、ハンナは必死だったのだ。 しかし、空しくもこの抵抗はあっと言う間に水泡に帰す。 あっさりとジャックが首を横に振ったせいで。 「俺がそんな顔をしているとしたら、俺の提案が受け入れられないことが原因だろう。原因がハッキリしている場合の事象には興味がない。」 「そうなの・・・・」 がくっとハンナは肩を落とした。 そんなハンナに容赦なくジャックは追い打ちをかけた。 「だから、そのエプロンを渡してくれ。」 ・・・・もしこの場にウィルかルディがいたならば、「何をやってるんだ」とすっぱり切って捨てられそうな話ではあるが、ハンナの絶体絶命の原因はこれだった。 思い返してみれば、まだ精神人形のみんながいた頃、ジャックは料理に興味を示した事があった。 が、あの時は食器の並べ方で誤魔化して後をウィルに押しつける事が出来たのですっかり忘れていたのだ。 それが今日。 一日の作業を終えて工房から出てきたハンナが夕食作りを始めようとした途端、急にジャックが言ったのだ。 『今日の夕食は俺が作ろう』、と。 そして話の展開は以前の時と全く同じ展開を辿り、服が汚れる→エプロンを貸してくれればいいまで行った所で行き詰まった。 なんせ前回はそこから食器の並べ方で誤魔化したのだが、ジャックに二度目は通用しない。 助けを求めようにも、ウィルもルディもエミリーもいないわけで。 こうしてハンナの絶体絶命のできあがりである。 「だから、ジャック。さっきから言っているでしょう?別に私がやるからいいのよ。」 「俺がやっても構わないと思うが。」 「だってジャックは料理なんてしたことないでしょ?」 我ながらいい切り返しだと思ったハンナの言葉にジャックはしばし考え一言。 「俺が初めて作った場合と、不慣れなお前の料理と成功率は五分五分だ。」 ガーン。 (つ、痛烈な切り返し。) なまじジャックが冷静にいうだけに、怒るタイミングも掴めずにハンナはへこみかける。 「た、たしかにジャックの方が器用そうだし私より美味しく作っちゃうかもしれないけど・・・・」 自分の散々たる料理歴を思い出し、よけいそんな気がしてきてハンナは俯いてしまった。 「・・・・でも、私の作るもの、いつも食べてくれるのに。」 「当たり前だ。」 「え?」 言葉通り、何を言ってるんだというような口調で言われてハンナは思わず顔を上げた。 その視線を捉えてジャックは別段なんの感慨もないように言ってのける。 「お前が俺のために作ってくれる物を食べないわけがない。それに俺がお前より美味く作れるという可能性も低い。」 「?そんな事ない。普通の人ならもっとマシに作れるわよ。」 「いいや。他の人間がどうかは知らないが、俺にとって一番美味いのは『お前が作ってくれる料理』だ。俺が作ってもそれは『俺が作った料理』であって、『お前が作った料理』の味にはならない。」 (・・・・どうしよう) なんでこの人はこんなことを顔色一つ変えずに言うんだろうと、ハンナはぎゅっとエプロンを握りしめて下を向いてしまった。 今度は顔が熱くてしかたない。 と、ふとハンナは急に今のやりとりに引っかかるモノを感じて言った。 「・・・・ちょっと待って、ジャック。それなら別に私が作った料理でもいいのよね?」 「ああ。」 「じゃあ、今日だって私が作ればいいじゃない。なんで作るなんて言い出したの?」 不思議そうにハンナが首を傾げると、ジャックは珍しく奇妙に顔をしかめた。 「気づいていないのか?」 「?なに・・・・きゃあっ!?」 ジャックの言葉に聞き返そうとした瞬間、ジャックに抱き上げられてハンナは思わず悲鳴を上げた。 「ちょっ!?ジャック?」 「大人しくしていろ。」 それだけ言ってジャックはズンズンキッチンを出るとリビングのソファーの前まで来てやっと止まってハンナを降ろした。 「??」 ジャックの行動に意味が分からずに目を白黒させているハンナの額に、ジャックが手を当てる。 「?」 「やはりな。」 「?なにが?」 「熱がある。」 「え?」 言われてハンナはきょとんっとした。 (そういえば、工房で作業を終えた時にちょっと熱かった?・・・?寒かったかも?) 「それほど高い熱ではないから明確な症状は出ていないはずだ。」 「そう、なの?」 「そうだ。俺がお前の変化を見落とすと思うな。」 「そうね。」 素直にハンナは頷いた。 恋人としての自惚れではなく、本当にジャックならばハンナのちょっとした変化も見逃さないだろうという確信があるから。 そして人間というのは自覚してしまえば急に身体が異常を訴えるもので。 (ちょっと、怠くなってきちゃった。) 「ハンナ。」 「ん。」 「横になっていろ。」 そういってそっとソファーに寝かせてくれるジャックの手が優しくてハンナはちょっとくすぐったくなる。 横になったハンナの髪をジャックが優しく梳いた。 意外にもこういう仕草は丁寧で何も言われなくても心配されているのが痛いほどわかる。 暖かい手に触れられている内に、いつの間にか安心したのか瞼が自然と重くなっていく。 「ありがとう・・・ジャック」 「ああ。・・・・・任せておけ。」 心地よい微睡みの中でジャックの声と、手の中から何かがするっと抜けていく感覚だけがわかって・・・・。 (・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん?) 「!!!」 がばっと跳ね起きた時にはもう、リビングのドアが閉まった後だった。 「あー・・・・・・エプロン、もってっちゃった・・・・・・・」 ジャックがエプロン。 しかもエミリーが使っていた肩のところにフリルが着いているエプロン。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・寝てよう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 ぽすっとハンナはソファーに倒れて現実逃避に走ったのだった。 後日、体調も回復したハンナが一枚のシンプルなエプロンを縫い上げた理由は言うまでもない。 〜 END 〜 |